こんにちは。脱サラ漫画家の徳永です。
今回は「夢を諦めるのが辛い・・・どうすればいいのか」というテーマについて記事を書いていこうと思います。
「追いかけ続けてきた夢」。どこかで「諦める」という選択肢を選ぶ方も多いと思います。私も自分の人生の中で一度、諦めた経験があります。
自分なりに辛い選択でしたが、「お金」と「年齢」の問題でどうしてもその選択を選ばざるを得ませんでした。
「続ける」か「諦める」。その二択で悩んでいる間は本当に辛い。そして、どちらを選んだにしても辛い・・・。
思い入れが強ければ強いほど辛い選択だと思います。
今回は、自分が夢を諦めた経験を基に記事を書いていきます。夢を諦めるかどうかで悩んでいる方に読んでいただきたいと思っています。
目次
夢諦めるの辛い…体験談【2016年の秋】
簡単に僕の自己紹介をさせてもらいます。
僕は2014年の夏まで京都で会社員をしていました。会社員として生きていくことに疑問を持ち、2014年7月に退職。
その後は紆余曲折ありながら、漫画家として生活することができていました。しかし、連載終了を機に人生の分岐点に差し掛かります。
ここで「夢を諦める」か「続ける」かの二択を迫られます。悩みまくった2016年秋の話を、順を追って説明していきます。
当時僕が投稿したツイートを貼り付けながら書いていきます。色々と迷走していて、自分でもちょっと引きました(笑)。
漫画の学校通いながら会社員
僕が漫画家という夢を抱き始めたのは、大学卒業して会社員になってからでした。それなりに興味ある業界の、それなりに興味ある仕事。毎日それなりに充実していました。
毎日6時半に起きて、1時間かけて出勤。6時に会社が終わって、また1時間かけて家に帰る毎日。
土曜日は月2で出勤。日曜は昼過ぎあたりから次の日のことを考えながら過ごす。そしてまた月曜日が来る・・・。そんな毎日の繰り返し。
10年後も、20年後も同じような日々を送ると考えると怖くなりました。どこかに監禁されているワケではなく、それなりに自由はあります。ですが、「それなりに」でした。
会社員として働くことに疑問を感じた僕は、ある夢を抱き始めます。その夢が「漫画家」。
昔から絵を描くのは好きでしたし、漫画も好きでした。それが仕事になったらどんなにいいだろうと考えたのが最初でした。はじめのころは、ただの憧れでしかありませんでした。
ですが、調べるうちにどんどん夢は広がっていきました。
漫画を描いたことのなかった僕は、会社が休みの日を利用して漫画の学校に通うことに決めます。
漫画の学校とはいっても、専門学校のようなところではありませんでした。絵画教室の漫画版というような感じ。趣味で漫画を学びに来ている社会人の方や、学生の方も多く通っていました。
平日は会社員。休日は漫画学校。そんな二重の生活から、僕の夢は始まりました。
↓当時の僕のツイート・・・謎すぎるww
想像以上に可愛かったw
お手柄犬、クマから男児救った!普段は臆病、6歳雌のシバ犬・めごちゃん #ldnews http://t.co/xP0ovmroCM pic.twitter.com/JOTVVSt8AP— 徳永サトシ@コミカワにて掲載中 (@tokunaga0621) 2014年6月23日
持ち込み開始!
会社員として漫画家という夢に向かって歩み始めた僕。もちろん同僚には、そんな夢を持っているなんて言えませんでした。
そんな中漫画の学校で、なんとか第1作を描き上げることに成功します。※半年かかりました(笑)
初めて自分の漫画を描き上げた高揚感は今でも忘れません。漫画の先生以外には誰にも見せていませんでしたが、夢が叶ったと錯覚するほどに興奮していました。
そんな勢いもあり、2作目を描き上げます。2作目が描きあがったら、持ち込みをしようと考えていました。僕は当時京都に住んでいたので、東京の出版社に持ち込むのは難しい。
ですが、タイミングよく京都で漫画のイベントが開催されていました。毎年秋頃に行われる「京都国際マンガ・アニメフェア」。通称「京まふ」。
京まふの一つのブースの中で、出張編集部というものがあります。東京の出版社が持ち込み原稿を受け付けるという企画です。
僕は、その出張編集部に持ち込みに行くことにします。
そこで、運よく一つの出版社に漫画を褒めてもらうことができました。名刺をもらって、「また新しい漫画描いたら連絡して」とまで言ってもらいます。ものすごくうれしかったことを覚えています。
ここで、大きく夢に近づいた気がしました。
この時点では、「夢を諦める」なんて選択肢は全くありませんでした。夢を追いかけている最中だったためか、周りが見えなくなっていました。
↓初受賞時のツイート
やったー!!!奨励賞!
ヤングアニマルは第2第4金曜日発売!! pic.twitter.com/9AQhlxhHMP— 徳永サトシ@コミカワにて掲載中 (@tokunaga0621) 2014年11月28日
脱サラ!上京!連載開始!!
初持ち込みで「名刺」という戦利品を獲た僕は、ある衝撃の行動に出ます。周囲の人をドン引きさせた行動。それは・・・。
脱サラ
自分でもドン引きですが、会社を辞める決意を固めてしまいます。初持ち込みがたしか2013年の9月。そこから1年足らずの2014年の7月に会社を退職することにします。
初投稿でもらった「名刺」と、会社員時代に貯めた貯金250万円弱を後ろ盾に会社を辞めました。
そして、そのまま上京。京都から、東京都八王子の激安アパートに引っ越します。家賃2万5000円が決め手になりました。京都の田舎に住んでいたのですが、その時の家賃よりも1万円近く安くなりました。
東京で半年ほど漫画ばかりを描く生活が始まります。バイトもせずに貯金だけで生活する日々。
収入はもちろん赤字。生活も切り詰めていましたが、脱サラと上京した高揚感もありものすごく楽しい生活でした。
持ち込みと投稿を繰り返して、ようやく一つの出版社から声をかけてもらうことになります。
主婦の友社のWEBサイト「コミカワ」での連載が決まります。サイトリニューアルオープンというタイミングもあり、持ち込みしてすぐに連載が決定します。
ようやく掴んだ漫画家という夢。今思えば「漫画家が夢」では、目標設定が低すぎました。僕が目指すべきだったのは「大ヒット漫画家が夢」。もしくは「漫画家として生計を立てるのが夢」。
連載デビュー決まりました!やったー!
主婦の友社「コミカワ」というweb媒体です。今月末のサイトリニューアルとともに掲載予定です。 pic.twitter.com/gLzWikumHP— 徳永サトシ@コミカワにて掲載中 (@tokunaga0621) 2015年5月5日
連載していた漫画が9か月で終了
2015年6月にスタートした連載漫画。9か月後の2016年3月に連載終了することになります。
当時僕は、連載が終わっても面白い漫画を描けばすぐに新連載を掴めると思っていました。思っていたのですが、現実はそう甘くはありませんでした・・・。
連載終了時も、「夢を諦める」という選択肢はまだありませんでした。というか、「漫画家になる」という夢は叶っていたので先のことを真剣に考えることができていなかったのかもしれません。
そんな僕も、イヤというほど辛い現実を知ることになります。辛いというよりもキツイという言葉の方が近いかもしれません。
↓連載終了後のツイート
コミカワ1周年おめでとうございます!今後とも「CLAPTRAP」ともどもよろしくお願いします。
タイトル紹介 ? CLAPTRAP(徳永サトシ) | COMICAWA https://t.co/3ycmX8A7b2 #コミカワ1周年 pic.twitter.com/eZ4tj7bqjO— 徳永サトシ@コミカワにて掲載中 (@tokunaga0621) 2016年6月29日
収入激減…お金と年齢の問題
連載終了後は、バイトをしながら新連載の案を練っていました。最初のころは、自由にいくつもの案を出せていたのですが、ことごとく連載案がボツ。徐々に辛いと感じるようになりました。
昼間はバイトに行って生活費を稼いで、夜中や休みの日はひたすら連載案を練る毎日。辛いと感じることもありましたが、好きなことだったので充実した毎日でした。
そんな日々でも目をそむけたくなるような辛い現実がありました。それはお金の問題。バイトをしていたとはいえ、漫画に時間を割いていたので収支的には赤字。
会社員時代に貯めた貯金は順調に減り始めていました。
そして、もう一つ辛いのは「年齢」の問題。僕が漫画家を夢見て脱サラしたのが24歳の時。そこから3年経って、連載終了時では27歳。30歳が見えてきていました。
「まだまだ20代」と思う方もいるかもしれませんが、比較対象の無かった僕は自分の年齢に焦りを感じていました。
「お金」と「年齢」。二つの辛い現実を目の前にして、初めて「夢を諦める」という選択肢を考え始めます。
地元の友達のSNSには「結婚しました」「子供生まれました」「海外転勤行ってきます」など、先に進んでいる投稿ばかりが目に入ります。それに比べて自分は何一つ先に進んでいないような感覚になっていました。
今だから冷静に客観視できますが、色々と負の感情が渦巻いていた時期だと思います。
連載終わって二ヶ月。家計が厳しくなってきたんで、食費の記録つけることにしました。 pic.twitter.com/HKMFkLxKhO
— 徳永サトシ@コミカワにて掲載中 (@tokunaga0621) 2016年5月26日
夢を諦める?続ける?
脱サラして、夢叶って、連載終了して、収入激減して、そこでようやく「夢を諦める」という選択を考え始めることになった僕。
当時の僕の選択肢は、2つ。
- このまま新連載案を出し続ける
- 夢を諦めて、地元で再就職先を探す
ブランクの期間は気がかりでしたが、年齢的には再就職先はいくつか見つかりそうな感じでした。募集要項の「28歳まで」という条件が目に入っていました。
僕は当時27歳。夢を諦めるという決断をするなら早い方が得策でした。夢を諦める(再就職)という選択を考えだしたのは、漫画家として食べていく大変さを自分なりに実感していたことも要因の一つ。
漫画家として食べていくには、いくつかの大きな壁を乗り越えないといけません。
- 連載
- 連載漫画が人気作になる
- 単行本出る
- 単行本がそこそこ売れる
さらに、漫画家として生活をしていくにはこのサイクルを繰り返す必要があります。繰り返すというのが、最大のハードルです。
連載して、単行本が出る漫画家は何人もいます。ですが、「単行本を出し続ける」「売れ続ける」ことができている漫画家は数えるほどしかいません。
このサイクルの中で、僕がクリアできたのは「連載」のみ。単行本は出ましたが、電子書籍のみ・・・。漫画家として生活していくことのハードルの高さを実感していました。
僕は新連載案を出すことを辞めました。「諦める」という選択を選ぶことにしました。
「夢を諦める」と決めた日からが一番辛い日々でした。無意識に映画を見ていても漫画に使えそうなネタを思いついたり、何をしていても漫画のことが頭から離れませんでした。
最初は「好きだから」という軽い気持ちで踏み出した夢。ですが、時間をかけるだけ思い入れの強い夢に変わっていました。「諦める」という選択肢をとったことで初めて自分の思い入れの強さに気づきました。
↓迷走してる時期
ハリーポッター(秘密の部屋時)
似てる度20 pic.twitter.com/L1pQJV0NX6— 徳永サトシ@コミカワにて掲載中 (@tokunaga0621) 2016年6月22日
辛い選択の末に・・・
長々と僕の「夢」と「諦めるという選択」について書いてきました。ここまで読んでいただいてありがとうございます。
僕は一度「漫画を諦める」という選択をしました。自分にとっては本当に辛い選択でした。これまで作ってきた連載案はすべて無駄になり、漫画学校で培った経験も、会社を辞めたこともすべて無意味になった気がしました。
一番の要因は、やはり「お金」。お金がなくては健康的な生活はできません。人によって考え方は違うと思いますが、僕は健康と生活が安定してこそ夢を追いかけられると思っています。
連載終了して収入が激減して、お金に困った経緯の中でより一層そう思うようになりました。
「夢を諦めるという辛い選択を選んだ・・・」と書いていますが、実は僕は夢を諦めきることができていません。どうにか諦める必要がない方向を見つけることができました。
僕が夢を諦めることになった一番の要因は「お金」。
ですが、今は安定的な収入を確保することができています。だからこそ、再び夢を追いかけることができています。
安定した収入とは言っても、再就職をしたワケではありません。「自分で稼ぐ」方法を知って、収入を得ることができるうようになりました。
会社員ではないので、時間を自由に使うことができています。だから、漫画を描く時間を確保することができています。
「お金」の問題で、夢を諦める方は多いかもしれません。でも、簡単に夢を諦めることができないから辛い。そう思っている方も多いはず。
そんなときは「諦める」という選択をする前に、何か方法がないか探してみてください。夢を諦める以外に選択肢が何かあるかもしれません。僕は自分で稼ぐ方法を知ることで、「お金」の問題が解決しました。
「夢を諦める」か「続ける」か。どちらを選択したとしても辛いかもしれません。僕はどちらの選択も否定する気はありません。
でも、選べる選択肢は多い方がいいと思っています。両極端な選択ではなく、折衷案があってもいいはず。一度は「諦める」という選択をした僕はそう思っています。
「漫画家になりたい」と思った時点では、一度も漫画を描いたことがありませんでした(笑)。なりたいけど、描き方が何一つ分かりませんでした。だから、一から漫画の描き方を学べる学校に通うことにしました。ちなみに入会金は20万円くらいしました・・・。